1980年5月の光州(クァンジュ)事件で戒厳軍に派遣された女性情報兵を母に持つと明かしたフランス在住の韓国人が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾を求める集会の参加者たちに、コーヒー1000杯を贈ったという話題が注目を集めている。
このエピソードが起きたのは、ソウル永登浦区(ヨンドゥンポ区)汝矣島(ヨイド)の国会議事堂近くにあるカフェ。カフェは12日、SNSを通じて支援内容を明らかにし、「支援の理由を電話で尋ね、その熱い思いに心を深く動かされた」と述べた。
フランス在住の学芸員「グリダ(活動名)」氏は、自身のSNSに「朝露で再会した世界:ある戒厳軍の娘の告白と1000杯のコーヒー」と題した投稿を行い、この出来事への思いを静かに綴った。
投稿の中で彼女は、母親について「夢も才能もあり、学業も優秀だった。しかし、小さな田舎町では、衣食住を保障し、能力を評価してくれる仕事の選択肢は軍隊しかなかった」と振り返った。また、母が「光州へ行け」という命令を受けた経緯についても触れ、「情報兵だった母は街頭には出なかったものの、目にしたすべてが母の心を押しつぶし、光州の記憶は深い傷となった」と語った。
今年夏、韓国を訪れたグリタ氏は、母親から当時の話を聞いと振り返り、「その日、母が語った光州の話は、今も母の手を震えさせる」と語った。幼少期、母が「朝露(歌の題名)」を歌う際に声が詰まっていたことを振り返り、「光州を離れた後ろめさ、歴史の中心にいながら彼らと共に戦えなかった罪悪感、そして真実に反する立場に立たなければならなかった孤独感が影響していたのだろうか」と省察した。
フランスに戻って後も、自分を圧迫していた重圧を「過去の人々が耐え抜いた犠牲から引き継いだ人間の尊厳であった」とし、「今もなお、長い夜を明かし、暗い時代に立ち向かいながら希望の光を放ち続ける人々がいる」と語った。さらに、「新たな自由と平等の世界が実現し、過去の歴史が繰り返されないことを心から願っている」と力強く述べた。
また、「革命の地、フランスからその思いを込めて1000杯のコーヒーを送る。韓国にいられないことへの残念さと、それゆえに感じる感謝の気持ちを込めて」と話し、さらに「フランスでは、エッフェル塔の前で数千の光が放たれるように、『再会した世界(歌の題名)』を歌いながら、心を寄せている」と付け加えた。
聯合ニュースとのインタビューで、この決断の背景について「国会に武装した戒厳軍が侵入したが、市民がこれを阻止したというニュースを聞いて、再び1980年の光州と母を思い出した。非常事態宣言後、数日間眠れなかった。韓国国民に心を寄せることが、母が抱えた苦しみを癒すための方法だと考えた」と補足した。
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