韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の弾劾訴追案に関する国会表決を約7時間後に控え、大統領が行った国民向けの談話は、弾劾案可決に必要な与党離脱票「8票」を引き止める決断だった。これにより、8年前の朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾時とは異なる結果となる可能性が高まったとみられる。
尹大統領はこの日午前10時(現地時間)の談話で「任期問題を含め、今後の政局安定策は我が党に一任する」と発表した。国民の力に弾劾以外の「政治的解決策」を提示する余地を残したと言える。
これにより「秩序ある退陣」の道が開かれた。大統領の「第二線への後退」も選択肢に含まれたのがポイントだ。「尹大統領の正常な職務遂行が不可能で、早期退陣が避けられない」という韓国与党「国民の力」の韓東勲(ハン・ドンフン)代表の立場とも矛盾しない。第二線への後退の受入れや任期短縮のための憲法改正などのカードを選択できるようになり、「早期退陣」の方法が必ずしも弾劾だけではなくなった。
韓代表は尹大統領の談話直後に韓悳洙 ( ハン・ドクス )国務総理と緊急会合を持ち、事態収拾策などを協議した後、「緊密に連絡を取り合い、国民生活と経済を最優先することで合意した」と明らかにした。尹大統領に代わって責任総理が与党と共に国政を運営する体制が構築されると予想される。
与党の「弾劾反対」という党の方針もこの日の議員総会で変更されなかった。党内で弾劾賛成票を投じることが難しくなったのだ。現時点で与党では安哲秀(アン・チョルス)議員だけが「表決前に尹大統領の退陣方法と日程を提示しなければ弾劾に賛成する」と公に表明している状況だ。
時は8年前にさかのぼる。8年前も、共に民主党が最初から朴槿恵前大統領の弾劾を主張したわけではなかった。2016年10月25日、朴大統領の1回目の国民に向けた謝罪直後、野党から「挙国一致内閣」の要求が出て、当時民主党の禹相虎(ウ・サンホ)院内代表は「弾劾に向かうつもりはない」とまで言っていた。弾劾案が可決されるという「確信」がなかったためだ。
当時もセヌリ党(国民の力の前身)の党員たちは「翌年4月辞任、6月大統領選」案を提示していた。弾劾局面の初期にこのような案を朴大統領が受け入れていれば、状況は変わっていたかもしれない。実際に、野党も大統領が第二線への後退を約束すれば弾劾ではなく「辞任」に立場を転換し、挙国一致内閣構成など妥協の姿勢に転じた可能性が高かったとの後日談もある。
同年11月8日、朴大統領は「国会推薦の総理が率いる内閣」案を提示したが、野党の立場からは「大統領が全権を譲る」という意味で受け入れられなかった。結局、この時を境に民主党は弾劾手続きを加速させた。
これが今回の尹大統領の弾劾局面との「決定的な違い」だ。国政混乱疑惑と非常戒厳の宣言という事案の性質は異なるが、大統領室と国民の力は与党の弾劾表決離脱票を最小限に抑える「政治的取引」をひとまず成立させたとみられる。野党勢力の票が192票で弾劾に必要な200票まで、2016年より客観的条件は有利になったが、可決はより困難になったように見える理由だ。
弾劾表決までの「物理的時間」が短かったことも一因だ。2016年当時、朴槿恵大統領が1回目の国民に向けた謝罪を行った10月25日から実際に弾劾案が国会で可決された12月9日までには、約1ヶ月半かかった。週末ごとに大規模な抗議集会が開かれ、与党議員たちは相当な圧力を受けた。
事案の性質が異なるとはいえ、問題が発生した3日夜からこの日の表決時点までわずか4日しか経っていない。国政調査などを通じて非常戒厳状態の正確な全容を把握するには時間が足りない。与党議員たちが党の方針や政治的利害関係にもかかわらず弾劾賛成に回ることは容易ではないということだ。
与党は現時点で尹大統領が弾劾された場合、民主党が次期政権を握る確率が高いうえ、「弾劾トラウマ」も考慮していると解釈されている。弾劾ではなく秩序ある退陣に方向を定めたのは、有力な野党大統領候補である李在明(イ・ジェミョン)民主党代表の「司法リスク」に関する結論が出るまで、時間を稼ぎたいという計算もあるとみられる。
これに関連して禹相虎前院内代表は、メディアインタビューで「2016年にやったように、少なくとも10票以上の与党の票を余裕を持って確保し、弾劾を推進するのが賢明だ。与党を説得する手続きをうまく進めなければ国会の門を越えられないのではないか」と述べ、「その時、弾劾案否決に生じる国民の失望は民主党が責任を負うべきだ」と語った。
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